長崎県五島列島の歴史から食べ物、観光情報まで幅広い情報を提供する五島雑学大事典(新現役の会&農援隊)

五島の馬は対州馬のように小さかったようである。心字が池のある五島家の屋敷の門を入るとすぐ目の前の家の縁側から殿様が乗馬したという。確かに脇に井戸と馬の水飲み用の石で作られた四角い桶がある。小さな馬でないと乗馬したまま屋敷の門はくぐれそうにもない。現在武家屋敷通りふるさと館になっている屋敷にも同様の水飲み施設があったので、やはりあの門を乗ったまま出入りしていたのだろうか。『五島民俗圖誌』によれば、大正時代の末には馬が244頭しかいないとあり、農耕用の馬は対馬産、引き馬用が島原産、天草産として、人の背丈もないような馬の写真を掲載している。昭和末頃までは、材木の土曳き用の馬が数頭いた。昭和42年6月発行の『宇久町郷土誌』には、昭和26年に宇久島で1頭分の馬の歯が発掘されたが、約2万年前の蒙古野馬の化石であった。と記している。この馬は日本内地の馬より小型で、ロバに似ているとのことである。

五島雑学大事典
 
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