遣唐使船が五島を経て中国に渡ったことは史実として間違いないが、文献に残る地名の解読や、同時に出発した船が別の港に入ったり、後の我田引水的解釈で、最終的な全行程がはっきりしていないところもある。肥前風土記によれば、船舶の港として「川原の浦」を挙げており、ここが岐宿の川原と考えられている。入り海奥にある白石地区には、遣唐使船のとも綱(船と陸地をつなぐ船尾の綱)を結んだといわれる石があり、その上を覆うように白石観音堂が建てられている。コンクリで下が埋まっているので全長は不明だが、高さは1m弱というところ。対岸には以前は大きな松が何本も植わっており、湾を挟んで前綱をその松に結んでいたという。ここで、神護川の水を積み、裏側の障子が岳から西の海上の天候を窺ったのだという。