明治19年に男女群島付近で発見され、採取には大きな遭難を繰り返すが、イタリア人バイヤーが富江町内に居を構えるほどの景気だった。上質のボケサンゴとともに五島彫といわれる彫りの深い上等なサンゴ製品によって五島富江の評価が高まった。昭和10年代頃までで資源量も衰え、サンゴ彫刻の技術者は台湾や神戸に流れ、富江のサンゴ船はミッドウェーにまで採取に行った。最近もロボットを使って採取を試みたりするほどで男女群島でとれた血赤のサンゴは希少価値から高価である。現在でもサンゴの計量単位は匁のままという業界で、サンゴの投げ札による独特の入札も復活したが長続きはしなかった。明治末の日本最大の海難事故と言われた遭難を描いた新田次郎の小説『珊瑚』がある。珊瑚遭難供養碑も富江町妙泉寺や大蓮寺などに残されている。