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玉之浦の大宝寺は江戸時代には既にこう呼ばれていた。空海が帰朝のおり、大宝寺の三論宗を新しい密教の教えの真言宗に変えたといわれている寺院で、屋根の瓦には西高野山と彫り込まれ、護摩堂の扁額にも高野山管長の書が掲げられている。