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明星院

真言宗に属する古刹で本尊は虚空蔵菩薩。第1、2、4番札所。延暦23年(804)入唐した空海が帰朝の際、寺に参籠したが、満願の朝の暁の明星の奇光を瑞兆としてその名がつけられたという。『明星院縁起』によれば、永徳2年(1382)「京都東寺ノ法孫明海僧正、空海ノ遺跡ヲ慕ヒテ西下シ、ソノ遺跡卜伝ヘラルル明星庵ニ留錫シ宝珠山明星院卜改称ス、時ニ三月二十一日ナリ」とある。第9代宇久勝が、応永2年(1395)再興して五島家の祈願寺とした。『五島編年史』によれば、安永7年(1778)五島家より本堂を建立すとあるが、その10年後の天明7年(1787)に、「本山村明星院炎上シ、本堂、護摩堂、位牌堂及本尊、諸仏三~四体ノ外、古記録焼失ス」「明年再建セラル」と記録され、文化5年(1808)「本堂普請成就」となっている。従って、現在の本堂は県指定の文化財になっており、福江市教育委員会の『福江市の文化財』では、安永7年の建立となっているが、文化5年が正しいのではあるまいか。檜の芯柱20本を使って建立され、藩絵師・大坪永章玄能(藤原永章)によって描かれた121枚の天井の花良画には、鎖国時代に拘わらず異国のものも描かれているが、これもその時の作品であろう。本尊は焼失となっているが、現在秘仏とされるご本尊はどの様な経緯の御仏であろうか、本堂の畳の間が狭いのは、明治になるまで五島家の祈願寺で一般の人が立ち入ることもなく、殿様と住職だけが本堂に入ったためといわれている。又、護摩堂に安置されている像高32.3cmの銅造薬師如来立像は国指定の重要文化財となっており、飛鳥時代の止利式仏で製作年代は奈良時代初期(白鳳仏)に入ると推測されている。九州でも最も古い時代の仏像で、遣唐使の時代にもたらされたものなのか、西海のはずれの島に鎮座する仏像の経緯は判っていない。ほかに県指定の木造阿弥陀如来立像など多数の仏像や宝物が残されている。

五島雑学大事典
 
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