昭和元年12月の調査で、五島の移出品と移入品の調査(金額)がある。移人品の単品では、呉服太物(ふともの・絹織物を呉服というのに対し綿織物・麻織物を総称した語)類635、846円、米598、066円、清酒501、530円、石油及油類453、878円の順になっているが、焼酎、麦酒を加えると、770、826円となりトップに躍り出る。以上の統計を紹介する『五島民俗圖誌』著者の橋浦泰雄は、同書で「移入金額でも判るように酒の需要は夥しいものである。島の人々は甘藷を移出して、それで造った焼酎を逆輸入する。概して島の飲用水は塩分を含んでいて、純良な淡水に乏しいから酒の醸造には適せぬかも知れぬが、これを自給する事が出来たなら島の経済に取って莫大な利益であろう。尚島の人々は少し酒を飲み過ぎるのではあるまいか。」と昭和の初めに喝破している。余計なお世話とも言えるが、近年でも地元で醸造をと言う声がたびたび起こり、三井楽では地発泡ビールを発売しているが、地元の消費に結びつけることに苦戦し最近廃業している。天明6年(1786)11月4日、以後家中に於いて40歳以下の者に飲酒を停止せらる。文政12年(1829)7月7日、40歳以下の者に酒停止のことを、又厳達す。文久3年(1863)2月13日盛徳、士民の酒宴を禁じ又40歳以下の者に禁酒令を発す。と、記録にも40年に一度は、通達しているようで、現在でも離島は飲酒運転が多いと悪い評判が定着しており、名誉挽回をしたいものである。