長崎県五島列島の歴史から食べ物、観光情報まで幅広い情報を提供する五島雑学大事典(新現役の会&農援隊)

遣唐使船

早い時期から交通の要路として意識され、航海の安全のための加護をうけるべく寺院なども五島には建立された。沖縄の方を経る南島路の通過地点でもあり、第14次以降は、五島を最終寄港地として唐へ旅立っていった。肥前風土記の解釈の多くは青方と川原の両港が出発の地として比定されているが、その他の港に泊まったり、漂着したりということもあったと思われる。相河崎ともじり石(石柱)、遣唐使船が3日滞留したといわれる三日ノ浦(橘浦)の錦帆瀬は錦の帆を拡げて修理した場所、今里み舟様は舟形の石に宝亀6年(775)航海安全を祈願、帰路寄ったという地もある。日ノ島御物浦は朝廷より賜った御物を一時陸揚げしたところ、青方姫明神跡には、第14次、16次に入港し鏡や太刀を奉献して無事を祈願、岩谷観音は、山頂近くの洞窟の石造りの堂宇に観音像祀って海上安全を祈った。道土井の弘法井戸、船崎は弘法巡錫の地、山王権現は最澄入唐のおりに山王宮を開く「川と一をもって山となし、三と一をもって王とす。よって山王山」(竪の三点、横の一点、横の三点、竪の一点)。また下五島では、白石のともづな石と対岸に船首をつなぐはんな松、加護川の水を汲み、塩の生産に塩竃宮、海上守護の神崎神社、東シナ海一望の正次神社、舟修理のろくろ場、魚津ヶ崎や唐船ノ浦、巌立神社、伝説上の笠はずし等、空海最澄の大宝寺、明星院、白鳥神社の伝承の他にも、遣唐使船にまつわる史跡や伝承が多数残されている。

五島雑学大事典
 
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