五島の秋から冬にかけての風物詩であった。焼酎原料としての切り干し甘藷の出荷量は日本一を続けていたが、近年国の統制価格からはずれたため生産もストップした。薄切りにした甘藷を竹の上に1枚ずつ拡げ、下から冬の季節風を入れてからからになるまで千すのだが、天日乾燥ではないのでそれぞれの干場に屋根がついていた。この作りが石、藁、トタンなど用いて地域性もあった。崎山の畑には海をバックに組み立て式の小屋が並び、富江黒島の港高合にずらっと藁葺きのかんころ棚が並ぶさまは壮観であった。富江半島はほとんど熔岩の石を利用しての頑丈なものであった。三井楽渕の元や、後網地区なども海に向かって多数並んでいたが、今は、かんころ餅用の茄で干ししたかんころを少し並べる程度となってしまった。