1月16日、下崎山町に伝わる祭。いくつもの異なる行事が同一の日にまとめて実施されることが珍しく、国指定の民俗文化財に指定されている。へぐらを塗った締め込み姿の裸の青年達によって相撲を皮切りに、羽根つき、玉蹴り、綱引き、大草履の奉納が行われる。綱引きや玉蹴りは本来小正月の年占行事であり、浜側地区と陸側地区の1年の豊穣を占う勝負が目的であったので、真剣勝負の行事であったが、青年団対抗、青年団と消防団対抗、最近では、中学生の参加も大事な要員となっている状態で、本来の意味は薄れている。相撲は最も寒い時期の行事のため体を温める意味もあって付け加えられたという。昭和40年代には、もう真剣勝負の意識は薄れ、玉蹴りも、今はわら玉を放り投げあっているだけである。元々は白浜海岸に潮水を溜めて泥沼をつくり、大津八幡神社で正月15日に行われていた泥沼の中での玉蹴りや高田郷松吟寺であったゲチョと同じく、わら玉を相手陣営に蹴り込んで勝負を争っていたのだが、その趣旨が忘れられ、行事名にだけ玉を蹴るという不自然な形で残ってリる。子供のいない1年以内の新婚の婦人が、稲の最高傑作であるお酒の樽の上で羽根をつく。正月15日の奈留や14日夕刻の大宝、三井楽等で古来から行わ札ていた尻たたきと相通ずる生殖行為=赤ちゃんを産むことへの期待で、羽根をつくのは叩いて音を出す(産む)ことに意味があったと思われる。綺麗な着物を着るようになったのは生活に余裕のできてきた時代になってからのことであろう。綱引きは、川の洪水のような水害を意味している八岐の大蛇の腹を切るのと同様に、綱(蛇神)を中程で切断して水難を避けるか、又は龍神をわら綱にみたてて、昇天して雨を降らせ農耕に恵を与えることを期待するもので、そのまま1本でとぐろを巻かせて奉納するかである。崎山では、雄綱と雌綱をつなぎあわせて1本にする形をとっている。最後に4m近くの大きなわら草履を、山城神社へ奉納する途中に若い女性を乗せて放り上げたりする事がマスコミを通じて有名になっているが、この行事も、大草履のつのまたの所に牛のためにといって小草履を欠かさずくくりつけており、これがこの行事の大事な趣旨であると考えられる。つまり現在、隣の長手地区でも稲わらで編んだ大きな足半(かかとのない草履)を長手神社に奉納するが、ここに牛の神様の大日如来が祀られている。1年1度、牛の足休めをして貰おうというのが大草履を奉納する意味と考えられるのである。へとまとの大草履奉納は農耕・生産の牛への感謝祭であったろう。祭の1つ1つに、本来は意味があったはずである。それも真剣に農業や漁業に取り組んでいたからこそ祭も真剣に時間をかけて勝ち負けにこだわって取り組んでいたのだと思う。日程、行事内容からみても、年占行事を中心に、冬に行われていた神事を同日にまとめたものと考えられる。