先君の父囲の恨みに報いて第17代を承統した宇久盛定が、現在の福江港から少し川をさかのばった辺りの高台に大永6年(1526)江川城を築いた。第22代盛利の時代の慶長19年(1614)に全焼したため、現在では、その当時の石垣が若干と、旧町名のなかに堀町などの残滓がある程度存在するだけで歴史の中に消えようとしている。その頃、のちに倭寇の頭目となった王直らとの密貿易取引があって(天文9年・1540)、彼らの住まいを城下(現在でも唐人町という)に許可し、足下に六角井戸を掘らせたり明人堂に参らせるなどして管理していた。今は、船たで場や頴川橋もなくなり、改修で川の流れも一変したものの、王直の館跡ともいわれる唐人町の石垣などが往時を偲ばせる。城が全焼したため、五島家の旧記、財宝も全て焼失、絵図もないためどのような城であったのか不明である。築城後キリスト教の伝来もあり(永禄9年、1566)何らかの影響もあったかも知れない。鯨漁などもこの頃始まっており、国内外を問わず時代が大きく動き、徳川時代にはいっていく頃である。